道後ぎやまんガラス美術館 - 1 [旅]
ミッフィー (タオル美術館) [旅]
パンフレットより
タオルの技法を使って表現した 今までにない「ディック・ブルーナー」の世界
「ミッフィー(うさこちゃん)の生みの親 ディック・ブルーナーは、
オランダの絵本作家でありグラフィック・デザイナーです。 途中省略
タオルが持つ技法(ジャガード織、朱子織り、インクジェットプリントなど)を駆使し、
ブルーナーの世界観をタオルアートで表現しました。」
タオルの技法を使って表現した 今までにない「ディック・ブルーナー」の世界
「ミッフィー(うさこちゃん)の生みの親 ディック・ブルーナーは、
オランダの絵本作家でありグラフィック・デザイナーです。 途中省略
タオルが持つ技法(ジャガード織、朱子織り、インクジェットプリントなど)を駆使し、
ブルーナーの世界観をタオルアートで表現しました。」
2017年 (平成29年) 元旦 [旅]
あけましておめでとうございます(*^_^*)
今年もよろしくお願いいたします(・_・)(._.)
12月17日 松山城へ。
別名 金亀城 勝山城 伊予松山城
加藤嘉明公
松山城の創設者。加藤嘉明は羽柴秀吉に見出されてその家臣となり、
20才 の時に賤ヶ岳の合戦において七本槍の一人としても有名です。
慶長5年(1600)の 関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、
その戦功を認められて20万石となります。
大菩薩峠 (徳島) [旅]
朝 7時ころ高知を出発。お昼近くに目的地「大菩薩峠」(喫茶店)に着きました。
Wikipedia より
レンガ造りのセルフビルド建築である大菩薩峠を建設した島利喜太(しま りきた)は
20代の頃、家業の農業を手伝いながら、数年を掛けて日本一周の旅に出た。
その旅の中で立ち寄った、山梨県の大菩薩峠の雄大な景色に感銘を覚え、
「自分の山にも万里の長城を築きたい」との思いを抱いたという。
そして、元々コーヒー好きであった島は、「大菩薩峠」「万里の長城」
いずれかの名を持つ喫茶店を地元の徳島県阿南市に開業しようと考えた。
徳島に戻った島はレンガ造りの喫茶店の建築に取り掛かったが、近隣のレンガ工場では
法人向けに生産をしており、個人である島にはレンガの供給を行ってくれず、
これを受けて島は自ら裏山に窯を作り、そこで自分でレンガを焼き始めた。
建造に使用された約10万個ものレンガは、ほとんど島自らが焼き上げ、
また、積み上げ、敷き詰めたものと言われる。建築の作業は1966年頃から開始され、
約5年後の1971年10月10日、喫茶店「大菩薩峠」が開店した。
中略
建物の主な構造はレンガ造りであるが、内装には木も多用されている。
喫茶店の客の使うテーブルや椅子も、島によって木の塊から削りだされ、
また組み合わされて作られたものである。また、店舗の入口の扉は無垢の一枚岩で、
この構想も、当初から島の頭の中にあったものであるという。
また、入口近くには、金属板を切り出して作られた、
「大菩薩峠」のネームプレートが取り付けられている。
Wikipedia より
レンガ造りのセルフビルド建築である大菩薩峠を建設した島利喜太(しま りきた)は
20代の頃、家業の農業を手伝いながら、数年を掛けて日本一周の旅に出た。
その旅の中で立ち寄った、山梨県の大菩薩峠の雄大な景色に感銘を覚え、
「自分の山にも万里の長城を築きたい」との思いを抱いたという。
そして、元々コーヒー好きであった島は、「大菩薩峠」「万里の長城」
いずれかの名を持つ喫茶店を地元の徳島県阿南市に開業しようと考えた。
徳島に戻った島はレンガ造りの喫茶店の建築に取り掛かったが、近隣のレンガ工場では
法人向けに生産をしており、個人である島にはレンガの供給を行ってくれず、
これを受けて島は自ら裏山に窯を作り、そこで自分でレンガを焼き始めた。
建造に使用された約10万個ものレンガは、ほとんど島自らが焼き上げ、
また、積み上げ、敷き詰めたものと言われる。建築の作業は1966年頃から開始され、
約5年後の1971年10月10日、喫茶店「大菩薩峠」が開店した。
中略
建物の主な構造はレンガ造りであるが、内装には木も多用されている。
喫茶店の客の使うテーブルや椅子も、島によって木の塊から削りだされ、
また組み合わされて作られたものである。また、店舗の入口の扉は無垢の一枚岩で、
この構想も、当初から島の頭の中にあったものであるという。
また、入口近くには、金属板を切り出して作られた、
「大菩薩峠」のネームプレートが取り付けられている。
店内は撮影禁止 !
今治城 [旅]
4月14日 因島 村上水軍城を後にして 今治城へ。
今治城
藤堂高虎により建立された海水を堀に引きこんだ珍しい城。
今治城は天下普請の丹波亀山城へ移築され、長く幻の天守と言われてきましたが、
昭和55年、再建されました。
今治城内には藩主着用の鎧や書画など貴重な収蔵品があります。
今治城
藤堂高虎により建立された海水を堀に引きこんだ珍しい城。
今治城は天下普請の丹波亀山城へ移築され、長く幻の天守と言われてきましたが、
昭和55年、再建されました。
今治城内には藩主着用の鎧や書画など貴重な収蔵品があります。